夢の出来事

 夕方、「肩こり」があまりに酷いので一人だけで散歩に出た。
普段は老犬の付き添いとしてしか歩く事はないのだけれど、全身の血流をよくして筋肉をほぐし、「肩こり」を解消するには早足の散歩がぼくにとって一番よいのだ。散歩と言うよりもトレーニング的な意味を込めて「ウォーキング」と言った方が適切かもしれないけれど。

 等持院龍安寺妙心寺の門前を回ってくるコース。空は晴れていたけれど飛行機雲が崩れていた。
 朝、犬を連れて歩いていた時にもジェット機が飛んでいたのだけれど、機体が輝くばかりで、噴射された排気がすぐに霧散してしまうほど空は乾いていたのだった。たぶん雨が近いな、などと思う。

 そうしているうちにいろんな事が頭を過ぎった。
 例えば、PCに文章を打ち込むときに、どんな場合でも原稿用紙設定で打ちこむことにしたこととか。そんなことはあまり意識したことがなかったのだけれど、言葉により意識的になったのだろうか、一語一語をくっきりと見えるようにしたくなったのだ。だけれど、全部これでいいのか、などと考える。
 また、通過していく家のたたずまいだとか、植栽にも目がいった。まだ明るいのに雨戸を閉めた家の塀の向こうに荒れ果てて枯れるに任せた菊の鉢が並んでいた。玄関先では初老の女性が買い物袋を下げた女性と声を交わしていて、脇をすり抜けようとした時「あまり具合がよくなくて」という言葉が耳に飛び込んできた。途端に頭の中で丹精込めて菊を育てていたのであろう人物を思い描く。例えば日焼けした小柄な老人、で、あって、白と紺のチェックのシャツを着ていて…などと。

 しばらくすると昨日見た夢を思い出した。
 ぼくはエンピツを握ってノートに向かい、字なのか図なのか判らないものを書き上げようとして悪戦苦闘していたのだった。夢の中でぼくの腕をそっと掴む人がいた。ぼくは友人が覗き込んできたと思ったのだった。「なにしてるんだ」という言葉を予想して振り返ったら、懐かしい顔がそこにあった。二十年前に亡くなった兄だった。驚いたぼくは言葉を失い、ただその顔を凝視していた。兄はぼくの顔を見ずノートを見ていた。言葉はなかったけれど、…俺がいつもついてるよ…という気持ちが流れ込んできた。「兄貴」と言って兄の腕にすがろうとしたら腕を突き抜けた。夢の中で夢を見ていることに気づきながら、その顔を覚えようとしていた。
 そんな夢。兄が夢に出てきたのは死んでから初めてのことだった。
 そういえば兄は黒いシャツを着ていた。

 やがて短い散歩は終わり、肩は柔らかくなった。
 そして夜。
 こうやって原稿用紙設定の画面に「夢の出来事」を打ち込んでいると、何かが心に積み重なった気がしている。それはぼくにとって、とても大切なものだという思いも。