詩を書いたり、音楽を聴いたり

昼からの雨は夜になっても降っている。
夕方、漢詩を読んでいるうちに自分でも書きたくなって
五言絶句をひねり出す。

だけど中国語も漢字は表意文字だけれど、たぶんに表音文字の要素も強く
英語同様、韻を踏むことが詩の成立の重要な要素になっている。
それは例えば英語だとラップに至るまでそうだ。

日本語は表意文字だ。だから「日本的」五言絶句は漢字の意味にこだわる。
ぼくも書きながら自分でそうだなあ、と感じていた。

だからラップ系や陽水なんかの場合は言葉を一度「音」にばらしてしまう作業が不可欠なんじゃないかな。
というか、意味はある程度無視して、音から組み上げた詞なんだとおもう。
そのあたりを当意即妙にできるのが職人技なんだろう。

漢詩をいろいろ読んで感じたのは、「私」という字がなかなか登場しないこと。
「我」はあるけれど、少ない。「君」はけっこうある。
視点が三人称の詩が多い。それだと自分の背中も詠える。

夜。
音楽はネヴィル・ブラザーズ。
Bird on a wireのネヴィルズ・ヴァージョンは大のお気に入りだ。